私の五島の生家は年中鍵をかけなかった。
福江島の中心地にあり、人通りの多い繁華街の一角にあったにもかかわらず・・・。
父母は「いつなんどき、うちん家ば頼ってくる人間がいるかもしれん鍵ばかけ取ったら、留守の時に入られんもんの」とその理由を言っていた。
昼間は人の目があるから大丈夫なようでも夜中に鍵をかけないのは心配だと言ってくれる人もあった。
しかし、父母はとんでもないという風に、胸の所で手を払って、「あらよね、夜中こそ大事たいね。鍵はかけんとよ」と答えた。
というのは、戦後まもなくの昭和20年代、30年代はじめは、戦地から帰って、そのトラウマからうまく脱出できなくて、その辛さを忘れるため酒に溺れる男性がかなりいた。
静かに飲んで寝てくれたらいいが、そうではなく、妻子に暴力を振るう者がいた。
真夜中、夫の暴力から逃れるため、子どもを連れて我家めざしてやって来るのだった。
特に雪の降るような寒い夜に毛布を何人かでかぶってやって来る家族のことを思うと、父母はとても玄関に鍵などかけられなかったのである
父母は夜中、いつ来ても寝られるように、玄関脇の三畳に布団を敷いてその上にやぐらこたつを置いてやっていた。
朝になると、家族4人ほどが方々からこたつに足を入れて、疲れきって眠りこけている姿をよく見かけた。
ある年には元旦早々からその姿を見かけた。元旦早々であっても父母はその人たちをあたたかく迎えた。
「いつもはごはんにみそ汁じゃばってん、今朝はごちそうぞ。さあ、起きて食べんね」と父母は朗らかにいうのだった。