聖書からモチーフを得た私の作品の中に「門を叩け」という作品があります。これはマタイ福音書の7章にあるみ言葉で、口語訳では「求めなさい。」から始まって「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」となりますが、私がミッションスクールの初等部に在籍していた頃は、文語体の聖書が使われていました。
登校し教室に入ると、黒板には毎朝聖句(みことば)が書かれていました。朝礼で全校生が声を合わせてそのみ言葉を唱えるのです。
「求めよさらば与えられん。訪ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」リズミカルで2、3回繰り返すとすんなり記憶できます。「祈りを常にせよ」。「汝右のほほを打たるれば左のほほも差し出せ」など、6年生になる頃には福音書の有名なみ言葉は、殆どすらすらと唱えられるようになっていました。
低学年では難しいと感じられた内容も度々黒板で目にするうちに考えるようになります。5、6年生には「聖書」という授業もあるので、聖書の歴史や4人の福音史家について、また使徒行伝やパウロの書簡についても解説されました。中学、高校は宗教と無縁の学校で過ごした私にとって、児童期に沁み込んだ聖書はとても大切な心の支えになりました。高校生になって進路や部活の責任などで不安や悩みがあると、自然に通学途中の教会に向かったものです。
どこの教会でも、特別な場合を除いて聖堂の扉は開いています。そっと扉を押して、誰もいない静かな空間で正面の祭壇を見つめていると、自然に気持ちが落ち着き、解決策が頭に浮かび、感謝の祈りに導かれたものです。
人生とは、次々扉を開けて、未知なる空間での体験を重ねていくようなものなのでしょう。