「居心地のよい場所から抜けだしなさい。そのとき人生がはじまります。」 こんな言葉を米国で耳にしました。
たしかに人生が、または生活が停滞しているなと感じるとき、何らかの一押しが役に立ちます。
人生の扉をあける。それには自分の居心地のよい空間から抜け出してみるのが一手です。
人にはそれぞれ独自の「居心地のよい場所」があります。性格や傾き、好みやこだわりによって、自分の落ちつく場所や時間、心の安らぎを覚える所を自ずと探し出します。
自分が社会において活きる、また個人として生きるために必要なスペースや余裕、精神的、霊的、物質的にそれを満たしてくれる空間を必要とします。
他方で、私たちの傾きやこだわりは、逆に自分の避けたいものからの傾きであったり、弱さから向かう行先であったりもします。過度の自己保身は逆に人の成長をとめてしまうことにもつながります。
古来より聖人たちは自らの生ぬるい生活や慰安から抜け出し、あえて不便なこと、不都合、痛みを伴うこと、また苦行にさえ自らを委ねました。それによって受難のキリストと一致しよう、神の贖いの神秘に参与しようとしたのです。
聖人の真似をするまでもなく、ときに、自分を甘やかしているかな、自分のスペースや生き方のペースを確保すること、自己の保身に傾いているなと感じる時、この言葉を思い出してみたいです。
日常の居心地のよい、なじみのある世界から一歩踏み出すとき、何かが動き出します。世界が違って見え、より立体的に迫ってきます。人生が光を放っているように映しだされ、その可能性の片鱗をのぞかせてくれることもあります。
「居心地のよい場所から抜けだしなさい。そのとき人生がはじまります。」