この頃、いろんなあだ名が私についてきています。ドラえもん神父、絵本神父、まっちゃん神父、いい加減神父などなど。でも特に強烈だったのが、疫病神神父です。
ある教会で、このことを自己紹介として話し始めると、「神父さん、縁起でもないのでこのあだ名は止めときましょう。」と注意を受けたことがあります。
なぜ私がこのあだ名をもらうことになったのか?それは、私が神父になりたてで、ある教会の助任神父として赴任した時のこと。それまでその教会の死者の数が年間5~6人だったのが、私が赴任してから3倍に増えたことで、周りから笑顔で言われるようになったのです。あるときには、「松浦神父が赴任しているときに死にたい」とも言われました。
きっとそれは、私が病者訪問を専門に2週間に一度の割合で周らせてもらっていたからだと思います。このことは、上司の神父が、神父の仕事の中で、高齢者や病者を忘れずに訪問することは大切なことなのだとわかるよう、親心で私にさせてくださっていたのでした。
その教会から今度は修道院付きの神父になったのですが、そこでもこのジンクスは続きました。知り合いの司祭が休暇のため担当している教会を留守にするときには、私に留守番役を任せてくれていたのですが、なぜか私が留守番をするときには必ず一人亡くなるという都市伝説が起こったのです。
病院でガン末期の患者さんが亡くなり、青年がバイク事故で亡くなり老人ホームで元気に過ごしていた老女が突然亡くなるといった具合です。
いろいろなお方の最期に接しながら、人間の命の重さ、一人一人の人間の生きる姿と接することができました。貴重な宝物のような体験でした。