毎年、正月の里帰りに合わせて、鎌倉の墓地に眠る友人の墓参りに行くことにしている。大学を出てすぐに亡くなった友人だ。もう20年以上通っているが、最近、これまでとは違う感覚を持つようになった。これまでは、自分は生きている者の世界にいて、彼はまったく遠い死者の世界にいると思っていたのだが、ふと気がつけば、わたし自身も少しずつあちら側の世界に近づいているのだ。
50歳を過ぎて、体のあちこちが悲鳴を上げ始めた。これまでに味わったことのないような痛みや、かかったこともない病気を体験し、ついにお医者さんからも「そろそろ、そういう年齢だと自覚してください」と言われてしまった。これまで「老い」ということはまったく考えたこともなかったのだが、体の故障を通して、否応なく自分自身の「老い」という現実が視野に入ってきたのだ。
「老い」の向こうには、やがて「死」が待っている。つまり、これまで遠くの世界にいると思っていた友人に、少しずつ近づいているということだ。もうしばらくすると、わたしもあちらの世界に行き友人と再会することになるのだろう。そのとき、わたしはいったい彼と、どんな話をするのだろうか。そんな風に想像すると、彼との距離がますます近づいてゆくのを感じる。
死は、この世界との別れの時であると同時に、先に向こうに行った人たちとの再会の時でもある。あちらの世界がどんなものなのか想像もつかないので、ちょっと怖い気もするが、先に行った人たちとの再会を想像すると、何かとてもうれしい気もする。彼ら彼女たちと再会したとき胸を張って話すことができるように、これからの人生の日々も精いっぱいに生きてゆきたい。