「親近感」とは、「人と人との繋がりのきっかけとなるもの」で、これによって、互いの心が開かれ、相互理解が促されるとともに、人格の成長に大きな役割を果たすといえそうです。この「親近感」は、どのような時に発生するのでしょうか。それは、さまざまです。
例えば、久しぶりに、親友と再会した時、誰しも喜びと共に、言い知れぬ親近感を感じるに違いありません。また外国で、一人ぽっちで過ごしているとき、日本語で話せる日本人に会えた時、いやが上にも言い知れぬ親近感を感じるに違いありません。これが、漂流の末流れ着いた無人島でのことなら、日本人でなくても助けてくれる人なら誰でもよく、親しい人を待っていたかのように救助を求めます。
多様な親近感でありますが、人生最期の時の親近感となれば、ほかならぬ、運命を委ねる創造主なる神への親近感ではないでしょうか。人生最期の、神への親近感はどのように生まれ、共有されるのでしょうか。それには、聖母に対して唱える「今も臨終の時も祈り給え」はじめ、常日頃、祈りを共有することが非常に大切だと思います。
聖書にも、心を合わせ神を賛美し、神に親近感を抱くよう願う、次のような言葉があります。
「わたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。 忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声を揃えて、私たちの主、イエス・ キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」(ローマ15・4~6)
新年にあたり、神への親近感を持つよう促しつつ、祈りの一致を求める、力強い励ましの言葉でもあるのです。