種なしで皮ごと食べられる、大粒で甘いぶどうが品種改良を重ねて誕生しました。「接ぎ木」は品種改良の有力な方法であり、病気に強い品種育成にも貢献してきました。
「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である。・・・人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」 (ヨハネ15・1、5)
最後の晩餐でのキリストの言葉です。父なる神は「農夫」として私たちを「まことのぶどうの木」であるキリストに接ぎ木して、豊かな実を結ぶ枝に生まれ変わらせてくださるのです。
改めて私というぶどうの枝を振り返ってみますと、誘惑という病害虫に弱く、実は渋く皮も堅くてとても食べられたものではありません。祈りが少なく、待つことが苦手などの多くの欠点が見えてきます。
新しい年を迎えました。ぜひ、キリストに接ぎ木されて、よき実を結ぶぶどうの枝になりたいのです。接ぎ木成功の鍵を握るのは、原木と枝の栄養分の通り道が繋がって、枝に樹液がたっぷりと注がれることです。これまでの怠惰な生活と決別し、キリストの恵みに生かされて成長したいと願います。
この番組の執筆者、森田直樹神父様は、街で子どもの姿を見かける度に、子どもたちの幸せを祈っていると伺いました。シスター渡辺和子先生は、エレベーターの「閉まるボタン」を押すのをやめて、自動的に閉まるまでの数秒間を祈りの時間に加えていますと、生前教えてくださいました。
「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2・20)
新年に当たり、祈りを大切にして、この聖パウロのみ言葉を心に刻みながら、身近なことから一歩ずつ、よき実を結ぶ努力を始めていきたいと思っています。