12月の終わり、私はサッポロにいた。何十年ぶりかの暖冬で、サッポロも雪ひとつなく、私はがっかりしながら、ホテルで仕事をしていた。
サッポロに来たのは東京での仕事場にひっきりなしにかゝってくる電話から逃れるためだったが、しかし私は大きな作品を書きはじめていたので、少し孤独のなかに身をおきたかったのである。
夜おそくまで、灯の下で私はノートを取り原稿用紙にむきあった。仕事はしかしなかなか捗らなかった。
一人でいると私は自分の人生をどうしても噛みしめる。何度も噛みしめてきた自分の人生だが、それは私のような年齢になると悔恨と苦さのまじった味がするものである。仕事にくたびれて机から顔をあげ、深夜の壁をじっと見つめているとその苦い味が込み上げてくるのだった。
窓のむこうに赤いネオンの光が點滅していた。
〇〇生命という広告ではじめ〇〇の字がうかび、次に生命の二文字が赤く出て、パッと消えるのだった。みなのねしづまった眞夜中、その四文字のネオンをじっと見ながら、私はわけもなしに涙をながした。
ある夜、急にしづかになった。静寂は深夜の静かさだけではなく、急にやってきた別のもののために作られたようだった。私は机から離れて窓により、はじめて雪がふりはじめたことに気がついた。
雪はだあれもいないビルとビルの間を、こまかく、やわらかく、舞っていた。街灯のついた道はすでに白くなりかゝっている。ネオンの四文字がその雪のなかについたり消えたりしている。にもかかわらず、すべては吸いこまれるように静寂だった。
私は窓に顔を押しあて、この雪に自分の人生もきよめられたいとふと思った。ながい間私は雪が少しずつ白く、白く、白く、すべてを純化していくのを、そして純化の時間の静かさを味わっていた。
*遠藤周作氏がご存命中に「心のともしび」に書き下ろされた原稿のシリーズは今回で終了です。*