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捧げる

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 生涯をふりかえってみて、あなたは人生を何かに捧げた、と言うことができますか。生涯を終える時、人々はあなたについて、何に人生を捧げた人か、と記憶されるでしょうか。

 よその国の墓地を訪ねると、よくこんなことが墓石に刻まれています。
 「愛すべき母」、「よき妻にして友」、または「よき父にて教師」「生涯よりそった夫」など、家族にとってかけがえのない存在であったかが偲ばれます。ときに仕事とのかかわりで「国への奉仕に捧げて」なども見られます。

 人は人生のおわりにあたって、なぜか、その人がどんな人であったか何に徹し、何に捧げたかをもって、その人の人生をふり返るようです。その人が何のために生きたか、それがどんな人生であったかを懐かしむように。

 確かに私たちが捧げる対象と、その向き合い方で、その人が何者であるかを、照らしだしてくれるのかもしれません。

 実際には、その人生にはそれこそ無数の出会いや出来事、転機や飛躍、決断や挫折、喜びや悲しみ、後悔や祝福、落胆や希望があったはずなのに......。なぜか最期に人を思い出すにあたっては、人生をまとめるかのようにして、その人が何に向きあい、心を傾け、何を捧げたか、を思うことで、その人を偲ぶようです。

 人が問われるのは、何をしたかではなく、何に成功し、何に秀でたかでもなく、その人の一心が、人生がどこに向き、何に捧げられたかが問われているかのようです。

 自分が生涯を終える時、人々の心に刻まれることはなんでしょう。その墓碑銘に記してもらいたい言葉は何なのか、思いを致してみましょう。そして今日も一日、自分の心がどこに向き、何に捧げられるのかを思い描き、人生の意図するところを浄めていきたいものです。