この季節になると、世界中のキリスト教の教会で、神が人となられて私達の内に住まわれたという、ご降誕とそれに先立つ待降節を祝います。
東の国の博士たちが星に導かれてエルサレムにやって来て、お生まれになった救い主はどこにおられるのですか、と問いただしたと聖書にあります。(参 マタイ2章)
これをイタリア生まれの作曲家、メノッティがオペラに仕立てたのですが、この作品を日本のオペラ団体が取り上げた時、その主役の少年アマール役に私が選ばれたのでした。"アマールと夜の訪問者"というこの作品ではクリスマスの前夜、貧しいアマール母子の小屋へ、お生まれになるイエスを探して旅する東方の三人の王が、一夜の宿を乞うという設定になっています。
この少年アマールは、王たちの話を聞き、幼子に献げる黄金、乳香、没薬を見て、足の不自由な自分の持つ唯一の宝、松葉杖を主に捧げる決心をします。そして、その瞬間、奇跡はおき、足は癒やされたのでした。
少年アマールが松葉杖を主に捧げると言う行為は、そのけなげな真心が私達の胸を打ちます。普通に考えれば、松葉杖無しでは少年は歩けなくなってしまいます。それでも、もしこの犠牲的行為が直接主の役にたつなら、もっと納得出来る行為になるでしょうが、この場合、足が悪くはない幼子イエスの役に立つとは言えません。従って、神がアマール少年の犠牲を喜ばれ、天の国ではこれほどの喜びで迎えられるという印に、神は癒やしという奇跡をもって少年の真心に応えられたのでしょう。
さて、往年の少年アマールも、私の中で一緒に年をとって、今や80才!私も妻も東の星を目指して巡礼の途上にあります。 今や捧げ物は目と腰の痛みになってしまいましたが・・。