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捧げる

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 神父になって30代の後半、教会の30過ぎの男達5、6人で、三十路会(みそじかい)なるものを作って、一ヶ月に一度飲み会を開いていました。一ヶ月の喜怒哀楽をこの会で爆発させて、次の一ヶ月を乗り切ろうとする企画でした。

 今でも覚えている話があります。あるお父さんが、「この前こんなことがあったんだ」と語り始めました。

 それは子どもたちで、広場で石投げをして遊んでいたとき、その人の息子さんが力任せに石を投げて、広場に面する家の窓を割ってしまったのだそうです。その家の主人がこんなところで石投げをするなんてと、カンカンになって怒って、お前のお父さんを呼んできなさいと息子に命令したのです。

 それで、かの父親は息子と一緒に謝りに行った時、「お前は子どもにどんな教育をしているのだ」と散々こき下ろされたこと。

 一瞬、「俺がやったことではない」と息子に怒りを持ったこと。でもその時息子の父を頼るまなざしが目にとまり、こいつは俺が守らなければ誰が守るのだという気持ちが起こってきたこと。だからじっと我慢をして、怒られ続けたこと。

 そして、不思議と息子への怒りが消えてしまっていたこと。それは、怒られ続けているうちに、自分のプライドを大切な息子に捧げたような気持ちを持ったのだ、ということ等々、彼は一気に話し続けたのです。

 初め、面白半分に聞いていた周りのものも、それぞれの親子関係を思い出しながら、最後は真剣な面持ちになっていました。

 12月、クリスマスの出来事を思うとき、イエスがこの世に幼子の姿で救い主として来られたのは、私たちが持っているものを捧げる気持ちを導き出してくださったのだと気づきました。