「今日一日の祈りと働き、喜びと苦しみのすべてをお捧げいたします。」
毎朝唱える一日を捧げる祈り。目の前のことに追われながら一日を終え、今日の日を振り返ったとき、私は今日一日、一体なにを捧げたのだろうかと思う時がある。
「捧げる」という言葉を聞くと、どうしても物やお金をイメージしてしまう。もちろん、災害や紛争などで日々の生活にも事欠き、物質的・経済的支援を必要としている方々に、自分が持っている物やお金を捧げることは大事なことだと思う。
でも「捧げる」とは、そうした物質的なものやお金だけでなく、"祈りと働き"、"喜びと苦しみ"など、形には表せない捧げものもある。困っている人、悲しんでいる人のために「主の祈り」を静かに唱える。自分の仕事を忠実に行う。あるいは、自分が喜べない時でも喜ぶ人と共に喜び、苦しむ人の心に寄り添い共に苦しむことも、大切な捧げもののように思う。
神様の前では、目に見える捧げものも、人目にはつかない捧げものも、私が心を込めて捧げるものに優劣はない。神様はすべてを喜んで受け取ってくださり、私の内面に豊かさというお恵みを与えてくださる。「捧げる」は、わたしから誰かへの一方通行のものではなく、そこには神様との交わりがあるように思う。
12月は私たちのためにお生まれになった幼子イエス様をお迎えする準備の時でもあり、その誕生を喜ぶ時でもある。イエス様を迎えるために行う私の小さなお捧げが、イエス様を迎える時の大きな喜びとなることを思うと、12月という月は「捧げる」の意味を表す月でもあるように思う。すべての人の心がイエス様の誕生の喜びで満たされるよう、日々の小さなお捧げを心を込めて行いたいと思う。