カトリック教会の礼拝であるミサの中では、様々な意向のお祈りが唱えられています。その中でも、司式者がパンとぶどう酒を供える祈りを唱えた後、次のように静かに唱えるお祈りがあります。
「神よ、心から悔い改めるわたしたちが受け入れられ、きょう、み前に供えるいけにえも、み心にかなうものとなりますように。」
このお祈りは大声で唱える祈りではないので、参列している方々にはあまり聞こえないかもしれませんが、ミサで捧げるパンとぶどう酒と共に、そこに参列している一人一人が、神さまに捧げられ、受け入れていただけるようにと祈っているのです。
さまざまなミサの説明がありますが、その中のひとつに、ミサの中でパンとぶどう酒が捧げられるとともに、そこに参列している一人一人が神さまへの供え物となり、キリストのからだと血になったパンとぶどう酒を参列者が受けることによって、参列している一人一人がキリストの香りを漂わせる存在へと変えられていく、というものがあります。
パンとぶどう酒がキリストのからだと血に変わる、ということに焦点を当てて長年論争されてきましたが、本当の意味の変化は、そこに参列している一人一人が神さまに捧げられ、いわば「第二のキリスト」へと変化していくことなのだ、ということです。
自らを「捧げる」ことによって、神のみ心にかなう者へと「変えられる」のです。
「捧げる」ということは、自らに起こる「変化」を受け入れることでもあります。余すところなく神さまにお捧げすることは、寛容に「変化」を受け入れ、自らが変えられていくことをゆるすことでもあります。
なかなか難しいですが、日々、自らを神さまにお捧げしていきたいと思います。