最後の宮大工と言われる西岡常一さんは、仕事そのものが、端的に自分の生き方を体現する方でした。木の命に捧げられた人生、と言ってもいいかもしれません。
西岡さんは主に、法隆寺や薬師寺などを手掛けました。経験に裏打ちされた口伝――これが、西岡さんたちにとって、宮大工という仕事の要となるものでした。例えば、「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」とか「木は生育の方位のままに使え」などです。
木には、それぞれ‶癖〟があります。真っすぐ伸びる木もあれば、ねじれる木もあります。ともすれば、人は、癖を無視したり捨てたりします。しかし西岡さんは、語ります。「癖は決して捨ててはいけない。むしろ、それらを上手く組み合わせることによって、いっそう堅固な建物ができる。」むしろ大切なのは、個々の木の声に耳を傾け、それぞれの生命を生かすこと。このことは人間にも言える、と西岡さんは続けます。癖があるからといって、その人間を捨ててはいけない。むしろ、その癖が生きるような場所を見出しあてがうこと。それこそが棟梁の仕事でもあると彼は語ります。
さて、聖書はイエスのことを語ります。
「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた」。(マルコ3・13~14)彼らもまた、それぞれ‶癖〟のある人物でした。また、決して出来のいい弟子でもなかったようです。そんな彼らを、イエスはたしなめます――「まだ、わからないのか。悟らないのか」。(参マルコ8・17)しかしイエスは、決して彼らを見捨てることなく、忍耐強く教え導き、世界に遣わします。
しかし多くの人々は、そんなイエスにつまずきました。
「この人は、大工ではないか」と。(マルコ6・3)