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捧げる

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 「捧げる」という言葉は、日常会話では、ほとんど使われることがないように思います。何を「捧げる」のかといえば、多くの場合「命」ということになります。 「命を捧げる」という重大事がそうしょっちゅうあっては、なりません。

 そもそも「捧げる」とは何か。辞書をみますと、「捧げる」とは「両手で持ち、目よりも高く上げる」という意味をはじめ、五つの意味があります。2番目の意味は、「見せびらかす」3番目、「高い大きな声を出す」4番目、「神仏や目上の者へ物をたてまつる」そして最後に「自分の持ってるものをすべて相手にさし出す」とあります。「祈りを捧げる」は、4番目の「神仏や目上の者へ物をたてまつる」に匹敵します。

 ところで、聖書では、「願いを神に知らせよ」と、次のように述べています。

 「どんなことでも、思い煩わうのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4・6~7)

 自分の願い事を感謝の祈りと共に、神に伝えなければならないわけです。神に知っていただくことによって、常に神の平安が私どもの心と思いに満たされますでしょうと。

 それには、自分の願い事が神のみ旨にかなっているかどうかを常に考え、吟味していなければならないと思います。み旨にかなうと思われる願い事は、結実されるでありましょう。

 しかし、それは、決して容易なことではなく、困難山積かもしれません。その困難を克服することなしに、神の平安が安易に私どもの心と思いの中に満たされることは、あり得ないということも悟らなければならないでしょう。