▲をクリックすると音声で聞こえます。

導かれて

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 人生はあっというまに過ぎ去ったと感じられます。特に後半は。一度くしゃみをした瞬間に、気づいたら浦島太郎のように、知らぬ間に周りの風景が一変していたというのが実感です。今までどこで何をしていたんだろう。軽いめまいさえ覚えます。

 過去をふりかえって人との出会いに、特に若い頃に出会った人々とのつながりに思いを致すとき、その後の人生がどのような道に向かっていったかが見えてきます。あるときにはそれが人生の決定的な契機や転換点となって、現在地に至るまで方向づけられてきたと、手にとるようにわかります。

 それでも、あのときもしこの道をとらなければ、一体どんな人生を歩んでいただろうと、誰しも思い返すときがあります。

 米国ニューイングランドの詩人ロバート・フロストは、散歩中にある分かれ道にさしかかり、さてどちらに進もうかと思案する詩を残しています。歩んできた長い苦難の人生に思いを致して自分は踏みしだかれていない方の道をとったが、それが実に大きな違いをもたらすこととなったと感慨深げにもらします。「選ばれなかった道」という題目には、もし別の道を辿っていたら、という思いを匂わせています。

 私たちの人生とその歩みをふり返ったときに、神がそこに見え隠れしながらも、よりそい支えてくれていたと、その関与をはっきりと感じることがあります。これを実感する心の動き、それを信仰と呼びます。そこに神が働いていたことをはっきりと認めることでもあります。

 ただひたすらに、今日までの恵みを一つひとつ思いかえし、ここまでこの人生の神秘を導いてくださった方に感謝し祈るだけです。そしてこれから、これまで受けてきた恵みにいかに応えていけるか課題としたいです。