小学校の前の芝生広場を歩いていると、1年生の子どもから声をかけられました。「ねぇ、こっち来て」というので、ついていってみます。「これ見て」と、指差したのは、虫取り網の中。小さな虫がいます。その子は小さいトンボだというのですが、きれいな黄色いハチのような、アブのような虫がおとなしく捕まっていました。そして、その目は、緑や黄金に鮮やかに輝いていました。「この虫、なんていうんだろう。きれいだね」というと、その子は何も言わず、しっかりその虫を見つめながら力強く頷きました。
その子の見ているワクワクする世界へ招き入れてもらい、きれいな虫との出会いを共有してくれて、とても嬉しく思いました。うっかり見過ごしてしまいそうなこの世界の奥ゆきへと、子どもたちは度々導いてくれます。
子どもたちは、発見したこと、感動した喜びを分かち合わずにはいられません。たとえ言葉で話さなくとも、その驚いた表情や仕草から、それが伝わります。
そんなときに、思わず口からもれる言葉は、「神様ってすごいね。」もうそれしか出ない、というような瞬間があります。言葉で説明し尽くせないいのちの奥深さを、花や虫たちが秘めていることを確認して、うん、と頷くだけです。
自然と同じように、一人ひとりの人間のうちにもそのような神秘が隠されています。けれどもわたしたちは、外の自然の神秘には気づいても、自分の内に秘めたる輝きには不思議と気づいていないのかもしれません。でも、それでもパウロはいいます。
「わたしたちは、このような宝を『土の器』の中に入れて持っています。」(Ⅱ コリント 4・7)
人間にはつくり出せないこの美しさが、わたしたちにも与えられているという確信に、子どもたちが導いてくれます。