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導かれて

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 先日、何十年かぶりに大浦天主堂に行く予定が出来、久しぶりに「日本の信徒発見」の出来事の話を読みました。

 1865年3月17日、浦上に住む潜伏キリシタンが、大浦天主堂でプチジャン神父様に「ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ」と信仰を告白した時、プチジャン神父様は驚きながらも大いに喜び、彼らをマリア様の像の前まで導くと、彼らは口々に言いました。

 「本当にサンタ・マリアさまだ! 御子イエスさまを抱いてらっしゃる!」。

 彼らはプチジャン神父様に導かれてサンタ・マリア像の許に行き、マリア様を仰ぎ見ながら感涙の涙を流したことでしょう。

 でも、250年にもわたる迫害の中で信仰を守り続け、そして、マリア様の前に立つ彼らを導いたのは、まさにマリア様ご自身だったのではないかと思うと、どんなに苦しい状況にあっても片時も離れず、母親のように手を引いて導いてくださるマリア様の姿を思い、新たな感動が胸を熱くしました。

 私たちは日常生活の中で、自分の人生を変える出来事や素晴らしい経験をすることがあります。その時、自分の意志ではコントロールできない「何か」に導かれたと表現することがあります。何かに導かれるような生き方をするためには、自分の考えに固執するのではなく、物事に固執しすぎない柔軟な態度と自然の流れに身を任せることが大事なのでしょう。

 しかし、浦上の潜伏キリシタンは、信仰を固く守り継ぎ、歴史の流れに身を任せて信仰を捨てたりもせず、神様にすべてを委ねて歩み続けました。

 予定した日が悪天候になり、私は大浦天主堂へ行くことはできませんでしたが、浦上の潜伏キリシタンを思うとき、「委ねる」という姿の中に本当の導きがあるのだろうと思ったところです。