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導かれて

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 「導かれ」の漢字部分「導く」を使った熟語には指導、先導、誘導、補導といろいろあります。

 「導く」とはある目的に向かって案内していく事ですから、熟語の先についている漢字の意味によって、どのように案内されるのかニュアンスが違ってくるわけです。宗教の世界では、教え導く「教導」という言葉も使われています。

 私たち人間は、生まれるなり両親を始め身近な先人から指導を受けて、人間として生きていく事を学びます。保育園や幼稚園、小学校、と集団で成長していく間には先生の指導もありますが、仲間の内に居て、リーダーシップを執る者に先導されがちです。善良な仲間なら問題はありませんが、中には心ならずも悪い友人に誘導されて悪事に染まり、警察の補導を受ける事態になるという事も起こり得ます。

 このように考えてみますと、人生とは常に何かにまたは誰かに導かれて日々を重ねているのだということが感じられます。

 今年は1923年生まれの遠藤周作氏の生誕百年に当たります。

 1966年に洗礼を受けた私は、その年の6月に小説「沈黙」が発売された時の読後に受けた衝撃を忘れられません。長崎県出津町の遠藤周作文学館を訪ね、「沈黙」の舞台になった外海の美しい日没を見て、今、導かれて此処にいると強く感じたものでした。

 私は今年の新作として「外海の殉教」という油彩画を描きました。普通は歴史画として殉教や絵踏みの様子を描きますので、宗教画の、美しい、不思議を装った描写を私は致しません。

 然し今回に限り、夕日に染まる中、水攻めにあっている人間の頭上にたなびく雲の隙間に戯れる天使たちを描き、殉教者の魂が天国へと導かれていく様子を象徴的に表現したのです。