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活かしあう

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 人間は、一人ぽっちで、生きることはできません。だれしも、家族の一員として、また社会の一員として、親子、兄弟、周囲の人々と共に暮らし始めます。その過程で、残念ながら、社会的救済を必要とするケースが生じますが、そこには、ある程度の社会制度が確立されており、互いに「活かしあう」愛の心が発揮されています。

 この尊い「活かしあう心」は、家族間ではもちろんのこと、広く社会全般にわたって発揮されなければなりません。互いに「活かしあいの心」があってはじめて、共存共栄、健全な社会実現・維持が可能なことは、だれしも認めているところです。

 「活かしあいの心」は、互いに理解し合い、長短を補い合ってこそ、可能であります。しかし、現実の世界、競争社会では「活かしあい」の実現・実行は、容易ではなく、極めて困難であります。

 むしろ、誠に残念なことに「活かしあい」とはまるで逆の、独善的な「独りよがり」の行いが見られます。その極端な例は、「殺し合い」ということになります。

 実際、昨今、殺人事件は、いつもどこかで発生し、あとを絶ちません。嘆かわしい限りであります。そしてこの「殺し合い」という言葉を、その無残さにもかかわらず、私たちは気軽に口にしています。一方、大切な「活かしあい」という言葉は、あまり口にすることがないように思います。「活かしあい」、そのようなことは、だれもが尊重すべき当然の事という認識があるからに違いありません。

 いまさらながら「活かしあう」ことの大切さを再認識するとともに、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」の聖書の言葉の実践を力強く誓いたいものであります。(マタイ5・44)