▲をクリックすると音声で聞こえます。

活かしあう

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 ある会合で、仏教の先生にお会いして、いろいろとお話しをしていたとき、その先生は、よく「自他不二」と言われました。何のことかというと「他者と自分は別々であって、別々ではなく、といって、同一でもない、という真実を表した仏教の言葉ですよ」と教わりました。ですから、他者にすることは、自分にすることでもあるし、自分にすることは他者にすることにもなるのではないでしょうか。

 わたしは10人兄弟の末っ子で育ちましたが、両親も兄たちも早く亡くなりましたので、子どもの時から孤独でした。そのとき、キリスト教と出会ったので、祈りに逃避していました。

 しかし、学校を卒業し、信州の長野市に移ったときに、教会に通うようになりました。そこで、素晴らしい青年男女に出会い、とても親切にされました。その時に、お互い、活かしあっていることを実感しました。

 たとえば、自分の霊的利益、すなわち信仰や祈りは、言葉で相手に言い表さなくとも、以心伝心のように他の人々にも伝わっていることが分かりました。

 それからは、他者に自分が何をしているかを言葉で伝えなくても、黙って教会に行き、聖堂でお祈りしているだけで、他の友人も自然にお祈りするのでした。そして、ミサが終わって家に帰るときは、彼も彼女も一緒に帰るのでした。

 活かし合うとは、こういうことではないかと思いました。

 教師として、中学・高校の男子校で授業を受け持ったときも、放課後、私が一人聖堂で祈っていると、幾人かの生徒たちも聖堂に来て、黙って祈っていました。そのうちの何人かは後で洗礼を受け、彼らも私も大きな恵みをいただいたのでした。