活かしあう関係をさりげなく作られたのが、チマッティ神父だったのではないでしょうか。
サレジオ会の尊者・チマッティ神父は、相手を活かすことに徹した方だったと思います。
ある時、日本で初めて口語訳の聖書を完成したバルバロ神父にチマッティ神父のお話を伺ってそう思いました。
チマッティ神父は、神学院の廊下を優秀な神学生が歩いてきたので、「『聖書』の口語訳をしてみませんか?」とお願いしますが、断られます。そのあとをバルバロ神学生が歩いてきて、同じことを頼んだところ、「はい」と即答!。
バルバロ神学生は、以後、司祭に叙階されてからも、一日も休むことなく翻訳に没頭し、苦労を重ねて『口語訳聖書』を完成させました。
また、チマッティ神父が創刊した「からしだね」という月刊誌をバルバロ神父は引き継ぎ、農業の雑誌と間違えられないように、名称を「カトリック生活」と改めるなど、編集長としての務めを果たしていきます。平和を訴えるために、月刊誌の半分近くものページを割き、徹底的にペンによる神の使徒として働きました。
このようにバルバロ神父が存分に働けたのも、チマッティ神父の支えがあってのこと。戦時中も印刷用紙が調達できないときは、イタリアのサレジオ会本部に手紙を書き、紙を送ってもらって、滞ることなく出版できるようにと、縁の下の力持ちを務めました。
頼むけれども放っておかないお父さん、そしてそれに答える明るい息子の揺るがない関係があります。
バルバロ神父が好んだという、ティツィアーノ作「聖母の被昇天」の絵をベネチアで見た時、高さが七メートルほどの絵から、使徒職を共に活かしあいながら生きた二人を称える聖母の歌が聞こえてくるようでした。