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ひらめき

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 こんな話をどこかで読みました。

 「なぜニュートンは万有引力の法則を発見したんですか。」

 ある子供に問われて、南方熊楠は答えます。「いつもそのことを考えていたからだよ。」

 思想家や哲学者、科学者らが大きな発見に至るそのひらめきは、思いも寄らぬときに湧き上がってくるようです。

 ところが、そのひらめきは実は準備なしに、突然やってくるというものではありません。

 人が一つのことを考え、悶えるほど考え続けた挙句に、あるときそのシナプスがつながるかのようにしてひらめきが到来し、発見や悟りに至ります。その没頭のしかたは、社会的生活や日常の生活にも支障をきたすほどです。

 リラックスしているときなどに、よくいいアイディアがどこからともなく降りてきます。

 「わかった!」興奮して風呂から飛び出して叫んだという、アルキメデスの「エウレカ!」という言葉は有名ですが、ほかの研究者や思想家にも同様の逸話が残されています。

 私たちの霊的な生活、祈り、神とのかかわりにも、同じことが言えます。聖人たちは神とのつながりを求めてたえず祈り、語りかけ、思いを致しました。そしてあるとき突然、神と一致する体験が与えられ、霊的な諭しや知恵、神についてより深い理解を得ることがあります。ある聖人は一瞬にしてこの宇宙の謎、神のすべてが照らされるようにして理解できたと、日記に一行だけ記しています。

 「いつもそのことを考えていたからだよ。」という熊楠の洞察は、祈りにも通じます。

 祈りとはただひたすら、神を待ち望み、そこに佇むことです。それが実は究極的な祈りで、神からの応答、私たちが辛うじて受けるひらめきも、実はその祈りの結果、しかもラッキーな結果にすぎないのでしょう。