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ひらめき

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 神父の仕事をしていますと、本当に口八丁の仕事をしてきたなあと感じることがあります。私の意志に拘わらず、口や手が勝手に動いてしまうのです。そして私は、自分が言った言葉に、たいしたことを言ったなあと自分で感心してしまうのです。

 私が神父になりたての時は、教会の主任神父の計らいで病者訪問が私の仕事の一つでした。20人ぐらいの病者のリストを渡され、それを2週間から1ヶ月の間で回るのです。

 その中に、病院に入院している口腔ガンの女性がいました。初めのうちは、声を出しながらの会話でしたが、あるときから頬にガンのために穴が空いて、筆談になりました。

 そして、お互いに筆談に慣れた頃、その女性が、「神父さん、質問があります。ガンで体が痛くなったとき、痛い痛いと訴える方が良いですか、それともじっと我慢する方が良いですか?神様はどちらを望まれますか?」と紙に書いてくるのです。

 私はびっくりして、しばし思考停止の状況でした。神父になりたてでどのように病気の人に応えるのかが判っていませんでした。ところが、私の手は、紙にさらさらと字を書き始めたのです。

 「お子さんがいらっしゃいますけど、小さい頃、転んで膝をすりむいたのを見た時、その子が大声で泣くのを見るのと、じっと我慢をする姿を見るのと、どちらが子どもらしく見え、どちらが愛おしいですか?」と。

 すると、その女性は「判りました。」と書いて、何か納得したような、気持ちが吹っ切れたような表情を浮かべたのです。

 その後、その女性は、痛みのコントロールが上手くいったせいか、静かに息を引き取りました。私は今でも、自分が書いたその言葉が、どこから来たのかを判りかねています。