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ひらめき

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 高校生になった時、入学祝いに聖書をいただきました。何の気なしに手にした聖書をパラパラとめくっていた時、突然、ヨハネ福音書の冒頭の箇所が私の目に入ってきました。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(1・1)

 当時の私には、不思議で不可解な言葉にしか思えませんでした。しかし、その時、瞬間的に「これは、イエス・キリストのことだ」と気づかされ、自分でもびっくりしました。誰かから教えられたわけでもなく、降って湧いたようなひらめきに、何故か不思議に納得し、その「ひらめき」は確かなものだと思え、嬉しくなりました。その時の感動は、今も忘れていません。

 それまでも、聖書の断片的な物語やエピソードを聞いてはいましたが、何か道徳的価値について考えさせられること等はあっても、聖書については、ほとんど何もわかっていませんでした。私にとって、この体験は聖書のみことばが「生きている」と感じられた初めての小さな体験だったと思っています。

 ふり返ると、この時から、自分なりに、少しずつ聖書に登場する人物の人柄とか思いを想像し、味わうようになり、さらに他の人々とともに聖書のみ言葉を分かち合う時、時々、この初めての時のようなひらめきを経験してきました。

 分かち合いで、最初に印象に残ったのは、同じヨハネ福音書の21章、ご復活のイエスが弟子たちにお現われになった場面でした。復活されたイエスの深い人間性からひらめきを受けて感動し、親しみを覚え、み言葉そのものと分かち合う恵みのすばらしさを実感しました。

 瞬間的に与えられて腑に落ちるようなひらめき...それは、神様からのインスピレーションではないでしょうか。