▲をクリックすると音声で聞こえます。

ひらめき

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 言葉とは面白いものです。「ひらめく」ですと「旗がひらめく」というようにひらひらと動くイメージが思い浮かびます。

 突然に良い考えを思いつき、脳裏に言葉や方法の画像がひらめくような体験では、脳内の軽やかな動きを感じて嬉しいと共に、思いつけたことが不思議で、慌ててメモをとり、偶然の幸運を感じます。

 ところが「ひらめき」となると「稲妻の閃き」のようにピカリと光る一瞬の強い光のイメージです。「天才のひらめき」という言い回しもありますが、天才となると偶然ひらめくのではなく本来の才能がきらきら光っている感じです。今日のテーマはこの「ひらめき」の方です。光を放つ、それも突然光るのです。

 空が掻き曇り急に大粒の雨が降る中、突然空を切り裂く稲妻が強く光る。これこそが閃きです。

 とすれば、退屈で平凡な日々を過ごし、前途に希望も感じないとぼやきつつ生きていた人に、突然、転機と言えるような事が起こったなら、これこそ人生における閃きの体験でしょう。

 聖書にある、ガリラヤ湖畔で漁業に従事していた兄弟に向けられた一言、ひっそりと座っていた取税人の姿に向けられた指先、これこそ主キリストから放たれた閃きでした。神の召し出し(召命)は、神の閃きなのではないでしょうか。

 私自身、15年近い歳月、生徒達と一緒に普通の絵を描き、デッサンの指導から、構図や色彩の質問に答えたりする平凡な美術講師でした。

 それが1981年、教皇ヨハネパウロ二世とマザー・テレサが相次いで来日された記念にと描いた絵がきっかけとなり、次いで「鎌倉のキリシタン」を描き、以後各地のキリスト教関連の作品を描き続け、40年以上が経過しました。

 顧みればそれは、不思議な閃きの体験だったのです。