1945年10月、戦地から帰って来た父は放心状態で先のことは考えられなかった。
戦地の惨状がよみがえり、夜中にもうなされて飛び起きる日が続いた。
母は父のその様子を見て「この人に頼ってばかりいては、子どもを食べさせられないかもしれない」と考え、自分が家にいて、稼げる仕事はないかと日夜考えた。
その考えの中心に神さまをすえた。
神さまに相談しながらだったら、神さまがきっと自分にその仕事を教えてくれるだろうと信じていた。
数日して、母の心にひらめくものがあった。神さまが「和裁をすればいい」と教えてくださったのであった。
しかし、母は和裁は一日も習ったことはなかった。
「どげんしたらよかじゃろうか?」と悩んでいたら、また神さまが教えてくださった。
「そうたいね、自分の持ってる着物ば全部ほどいて、その通り縫いなおしたらよかたいね」とひらめいた。
思い切りのいい母は即実行に移した。
近所の文房具屋さんで大判の大学ノートを買い、自分のほどいた着物の寸法を測り、我流で製図を作った。
そして、縫いなおし、まず浴衣からマスターし、一重の着物、裏つきの着物、羽織と次々にレパートリーは広がった。
母は着物を縫う前に、必ず十字を切り、神さまにお願いしてから針を握った。
特に反物からハサミで裁つ時には、かなりの時間、お祈りしてからハサミを握った。
「何十年も和裁ばして、一度の失敗もなかったとはさ、神さまが手ば添えてくださったから」と母はいつも神さまに感謝していた。