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ふれあい

シスター 山本 ふみり

今日の心の糧イメージ

 「ふれあい」は、心と心が触れ合う出会いと、『愛』そのものと思っていいのかも知れませんね。

 イエス様は、多くの病人を直接触れて癒されます。そこにはただ病気を癒すだけではなく、イエス様と出会った真の喜びがあり、まるで、イエス様と出会う為に病気があったかのようにさえ見えます。聖書に「神の業がこの人の上に表されるためである。」(ヨハネ9・3)とあるのも納得します。

 イエス様は、唾をつけて両耳にご自分の指を差し込んだり、両目に両手で触れたりして癒しておられます。

 当時病気は、罪の咎とされ、罪の象徴のように見られて、人々は汚れるとして近づきませんでしたし、伝染病とされていた病気は尚更、人里離れた所に隔離されています。

 ふれあいどころか食べ物も事欠くほどだったようです。そんな人々の心は寂しく荒んでいたでしょう。

 「どうして神様は私に病気を下さったのだろうか?」と答えのない問題に解答を求めていたでしょう。そんな中にイエス様は現れて、ご自分から近づき、手で触れ、言葉をかけ癒されるのです。人から嫌われ遠ざけられていた人の所に直接行って触れられるのです。主のあわれみの心がお恵みとして与えられる瞬間でもあるように思います。

 人間は本来弱い者ですが、弱い者の集まりを意識する時、お互いに支え合い、励まし合い、痛みを共有し理解し合う事で、お互いに何か出来る事があるのに気づき、安心して委ねます。それが本来の人間の温もりのように思います。お互いに弱い者であることを自覚する時、「人」としての温もりある『愛』を取り戻し、主が教える高さ、広さ、深さ、温かさなどのある『愛』を、ふれあいの中で育んでいけたらと思います。

 ふれあいの中に『愛』も共にありますように。