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生きがい

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 かつてある大学で「人間学」という科目を担当していた時、「生き甲斐」を取り上げたことがあります。そのとき、多くの学生が生きがいとは何かを知らなかったり、生きがいを感じていないことに気づき、愕然としたことがあります。

 生きがいというのは、生きていることの意味が分かっていることです。そして、生きていて、嬉しい、楽しい、感動しているなど、生きている現実の素晴らしさを体験することではないでしょうか。

 私自身の体験を言わせてもらえば、カトリックの洗礼を受けたときに、「ああ、自分は神の子になったんだ」、そして「教会は自分の本当の家になったんだ」と気がついた時でした。その時の歓喜や感動は、現在は薄れていますが、潜在意識にその感動の余韻が残っています。

 一般的にも、自分が今やっている仕事や活動が、人々のお役に立っているということであれば、なんらかの生きがいを感じるものです。たとえば、書物の原稿を書いている時でも、この拙稿が読む人に何らかの光や助けを与えるものであれば、なんと嬉しいことかと思うだけで、生きて、働いている喜びを感じます。

 反対に、生きがいが感じられなければ、人生は何と重苦しいものになることでしょう。しかし、生きがいは棚から牡丹餅のように、自然に外から与えられるものではありません。人間は受動的な人形ではありません。神さまの似姿として、創造的な存在です。

 何か世のため、人のためになることをすることです。たとえ、自分の趣味に没頭していても、それが他の人々のためになると確信できれば、立派に生きがいを感じることができるでしょう。

 皆が人生を生きることの意味を悟られることを願います。