今から60年以上前、富士山の裾野、御殿場の神山復生病院での事です。新緑の風薫る季節でした。入居者への訪問で、数人の方々と楽しく談笑の折でした。
「洗者ヨハネ林尚志、来ているね」と大きな声が廊下から、聞こえてきました。さらに、「洗者ヨハネ林尚志、来ているね」とMさんの声が段々と近づいてきます。両目の見えない彼が、廊下の手摺を伝いながら近づく姿が目に浮かんできました。私はMさんがその部屋に来ると思ったか、直ぐに会える、と思ったかで、「ここにいるよ!」と大声で応えることもせず、そのまま語らいを続けていました。
急にぴたっと声も近づく気配も無くなったので不思議に感じましたが、そのまま少し話を続けてからお暇しました。
廊下に出るとMさんの姿はありません、そう簡単に動ける体でもないので、見える範囲にいられると思い込んでいたのです。しかし、視界からは消えていました。
おそらくそこだろうと古風な感じの畳敷きの聖堂に行ってみました。
矢張り、きちっと背筋を正し、見えない祭壇と向き合っていられました。よく見ると指のない手首にロザリオが巻き付けてあり、拳でロザリオの祈りの珠を繰っていられました。私の近づく気配には微動だにせずです。神さまに繋がる人の姿が輝く様でした。斜め後ろに座りお祈りを重ねさせて頂きました。
Mさんは屋内に伝わる訪問者の声で私を聞き分け、不自由な体ながら声のする部屋に来られたが、談笑の雰囲気に分け入ることを遠慮してか譲ってか、聖堂へと向きを変えられたようでした。今度は私が祈りの中に遠慮して入りませんでした。
「天と地の ふれあうところ 神山の 心の祭壇 決して忘れず」という言葉が心にわいたことを思い出します。