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ふれあい

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 平素あまり理解しあっていない相手に、ふと、暖かい心のふれあいを感じたり、四季折々に咲く花の香りにふれて幸せを感じたりします。

 逆に、学生時代からの親友であっても、仲良く長時間会話するばかりではなく、どちらかが何かの事情であまり機嫌が良くないときなどは、短時間で「じゃ、またね」と別れます。

 相手が人間でも美しい草花でも、心がふれあうと幸福感や生き甲斐を感じますが、ひやひやしたものに触れると、離れていきます。この不思議な現象は何でしょう?もし、心のふれあいが無かったら、私は生き甲斐を失い、日々哀しい想いで生きなければなりません。

 さて、何故こうも日々、色々な感情が湧き出すのでしょうか?湧き出す感情もいろいろで、喜びとか楽しい感情の時は時間を感じませんが、怒りとか哀しみの感情の時は、非常に長く感じ、疲れます。

 若い頃の話ですが、イギリス人の恩師が、コーヒーショップで私達学生にむかって、つぶやくようにこんな話をされました。

 「湧き出す感情は、時に神様が深くかかわっているんだよ」。「人間の湧き出す感情を非道徳的なものと解釈する人が案外大勢いるけれど、宗教心理学を学ぶ君たちは、湧き出す感情を解釈するとき、神様が深くかかわっておられる場合が多いので、軽率な解釈をしないようにね」と。

 当時はピンときませんでしたが、人生の途上での色々な問題に直面し、今後、どうするか、という選択肢の時、激しく湧き出している感情に振り回されながらも、恩師のこの言葉「湧き出す感情と神の摂理の関係」を思索できたおかげで大きなトラブルを避けることができました。

 神様とのふれあいを真面目に考え出せたのは、この恩師のお陰だと思うのです。