「ふれあい」といえば、人と人が職業や年代を越えて、心暖かく交流する、という良い意味合いで、今までは使われていた気がする。
ところが近年では、触れられることを苦手だと感じる人々が増え、「ふれあい」という言葉にも陰影がついて来たようだ。
私の周囲には、人に触れたり触れられたりすることを嫌う人の方が多い。人間にはパーソナルスペースという空間があり、他人と距離を保っていると言われているが、この自分を守る空間を堅固にしている人が、詩人や作家には多いのかもしれない。
私も実は、人と触れ合うのがとても苦手である。新型ウイルスが流行する以前、或る講演会に出席した時のこと。講演の合間に、歌手が歌を披露してくれたのはよかったが、「皆さん、隣の人と手をつないで一緒に歌いましょう」と言われてしまった。
勇気を振り絞って、手をつないだお隣は、高齢で活躍しておられる著述家の方だった。何事にも厳しいと噂の方である。やっと歌が終わって解放されると思ったのに、その方は手を離してくださらないのである。お顔を見たが、考え込んでおられるようで、手にだけ力が入っている。手を離すのを忘れて、仕事のことを一心に考えておられるらしい。そう気づいて、私は笑ってしまった。どっと親しみが湧いて来た。その後は笑ったせいか打ち解けて、楽しくお話しすることもできた。
お話ししてみれば、噂のような怖い方ではなかった。だが、手をつないだからこそ親しさも生まれたのである。二つの手が重なって、そこに何かが流れたかもしれない。
「ふれる」ことの力を初めて知った時であった。
不思議な体験だった。真意を伺いたいが、その後亡くなられたので、もう本当のところはわからない。