水のある風景――それを見ていると、なぜか心が安らぎます。池でも、川でも、湖でも、また海でも。足も届かないような沖に出て、身を任せます。多少怖い思いもありますが、あの何とも言えない包まれるような気持ちは、忘れられません。それは、母親の羊水に包まれていた原体験の記憶なのでしょうか。
学生の頃、一人で北海道に旅をした時、摩周湖を訪ねました。〝霧の摩周湖〟と言われるように、せっかく訪れても霧のために見ることができないことも稀ではない、と聞いていました。しかし、幸いにもその時はよく晴れた日で、湖とその周りの風景を俯瞰することができました。摩周湖は、アイヌ語では「カムイトー」と言われ、その意味は「神の湖」とのこと。あの吸い込まれるような湖の色(摩周ブルー)を見ていると、(なるほどな)、と自然に思うのです。透明度は、バイカル湖に次いで世界で2番目のようです。
聖書において、海は、宗教的な象徴的意味をもっている、と言われます。穏やかな日もあれば、激しく荒れ狂い、人々に恐怖を与える時もあります。しかし神は、そのような海を鎮めます。
「あなたは誇り高い海を支配し/波が高く起これば、それを静められます」。(詩篇89・10)
イエスもまた、そのような海に対して、圧倒的な力を示します。ある日、彼は、弟子たちと一緒に船に乗って向こう岸に向かいます。すると突然激しい突風が起こり、あわや船は沈むかと思われました。うろたえる弟子たちをしり目に、イエスは、海に向かって叫びます――「黙れ。静まれ」。(参 マルコ4・35~41)
イエスはまた、復活の後、何もとれずに漁から帰って来た弟子たちを労い、朝食を共にされます。 とても静かな水辺の風景です。