私の家には、気持ちばかりの庭がある。芝生を植えているせいか、暖かい季節には、近所の猫が陽だまりでくつろいでいることがある。やってくる猫は何匹かいるのだが、なぜかくつろぐのは必ず一匹ずつで、猫同士が同席することはない。貸切の個室である。身体の大きな猫が悠然と陽を浴びている時もあれば、毛並みのきれいな猫が花のそばで丸くなっていることもある。
このこじんまりした庭を猫たちが気に入ってくれ、居心地がよさそうにしているのを見ると、猫好きでない私でも、ほっこりと幸福な気持ちになる。不思議なものだ。
私たちは、自分自身がくつろげる、居心地のよい場所や時間をちゃんと持っているだろうか。残念ながら、人間は猫のように自由ではなく、複雑な人間関係に捉われて生きている。職場でも、家庭でも、また親しい友人関係においても、気を遣い、思いやりをもって、よい関係を維持しようと、多くの人々が努力している。だが、それが過剰な努力によるのだとしたら、危ういことと思う。
私自身も内向的で、人間関係が苦手で悩んでばかりだ。或る時、仮想空間ゲームを見て、この無人の光景に永久に入ってしまいたい、と本気で思った自分にハッとした。私たちには、休息が必要なのではないだろうか。誰にも気を遣わず独りでくつろぐ時間。本当に居心地のいい場所とは、自分自身の中にあるのかもしれない。ありのままの自分に戻り、自分を労る時間を作りたいものだ。元気になってまた、仲間のところに戻っていけるように。
猫たちの方が、実は人間よりずっと賢かったのだ。持ち主が気づかなかった庭の使い方を、彼らはちゃんと知っていたのである。