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いごこち

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 初めての授業で出会った4月には、こちらを伺うようなまなざしを向けていた小学2年生の子どもたちも、今は屈託ない表情で何でも話してくれます。

 ある日のことです。授業のはじめに、いつも通りみんなで瞑想をし、祈っていました。みんな背中を伸ばし、ひざに手を置き、まっすぐ椅子に座ってまじめな顔で祈っている中、一人の男の子が、背中を丸め、机に手を置き、満足そうな表情で座っています。おやっと思い、そっと背中をさすって背すじを伸ばすよう促すと、少しまっすぐにしてみますが、いつの間にかまた元通りです。たぶんそのポーズが、その子にとっては一番くつろげるのでしょう。神さまと一緒にくつろいでいるのかなと思うと、つい、それもいいのかなと思ってしまいました。

 また、ミサでお話をするとき、ミサに参加なさっている皆さんの様子がよく見えるのですが、ときどき静かに休んでおられる方が見えます。目を閉じ、話に耳を傾けつつ、思わず体もやや前に傾いておられる姿を見ると、忙しかったり、体が多少きつかったりしても、今日もミサに参加して、皆と心を合わせて神に祈ってくださっているのだなあと尊敬の念を抱きます。それと同時に、その方にとって教会はついうとうとするほど安心できるところなのだなと思い、なんだかうれしく思います。

 教会に通われている多くの方々と同じく、聖堂の赤いランプの灯るところ、ご聖体のイエスさまの前は、わたしにとってもいごこちのいい場所です。

 何も言わず、静かにわたしと向き合ってくれるイエスさま。何も言わないけれど全部知っていて、それでも全部聴いてくれて、つらいときも、哀しいときも、最後には「よかった」と思わせてくれるのです。