昨年、たくさんの修道院を訪問しました。建物とメンバーによって雰囲気は様々で、いごこちもそれぞれでした。建物の手入れが行き届いていて気持ちのよい所、設備はいまいちだけどシスターが育てた見事なバラの一輪挿しですべてをカバーしている所、何はなくても心からの歓迎の気持ちが表れていました。
ある修道院は築百年以上の木造の建物で、2階の床板の隙間から階下の灯りが漏れていました。おまけにシスターたちの高齢化に伴い改造せざるをえなくなり、複雑な造りになっていました。数日しか滞在しない者にはお世辞にもいごこちがよいとは言えない状況ですが、シスターたちはにこにこして暮らしていました。
いごこちがどうであるか決めるのは、第三者ではなく、住んでいる本人たちです。合理的であることが必ずしもいごこちがいいとは限りません。この修道院のシスターたちは新しい建物を望まず、古い継ぎ接ぎの建物に住んで家に馴染み、お互いを受け入れ合っていごこちのよい共同体を作っているのだと思いました。
「好きなものに囲まれて過ごす」という言葉を聞きますが、それはストレスなく心が満たされたいと願う現代の私たちにはとても魅力的です。でも修道院や職場のように家や仲間を選べない状況では、どうしたらよいでしょうか。
それは、反対に周りのものを好きになればいいのだと思います。もちろん好みは簡単に変えられません。でも、良い面を見つけることはできます。何事につけ、感謝することで心が広くなり、周りのものの良い面を見つけることが容易になるでしょう。
そうするとあの古い家に住むシスター達のように「古い家」を「歴史ある家」と見て、いごこちよく住むことができるのです。