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いごこち

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 私の生家へやってくる人たちは、開口一番、「こん家に来たら、生き返ったごとある」というのが常であった。つまり「いごこち」がいいというのである。

 父母は誰がやって来ても愛想良く迎えた。
 「さあ、食べろよ、食べろよ、腹が破るっごと食べろよ」というのが口癖であった。昭和20年代頃は白い御飯はご馳走であった。半麦御飯が多かったから。

 母は私たち3人の娘に「おなごはさ、白か御飯ば切らしたらいなかとよ。いつもさ、誰が来ても御飯ば食べささんばいけんとよ。おひつの中が空じゃったらいなかとよ」とよく言い聞かせた。

 時代は変わって、今どき白い御飯を喜ぶ人はほとんどいないと思うが、母はたまたま白い御飯と言ったが、人が家にやって来たら、歓待しろと教えたのだと思う。

 ご飯のあとは「よかったら、うちに泊まったらよかよ」とも言った。

 それこそ、マタイ伝25章の中のイエス様の言葉を地でいっていたのである。

 お客さんは、父母の歓待をたいそう喜んで「ここん家」は天国んごとある」と、父母をほめちぎるのである。 父母は目を細めて喜んだ。

 しかし、喜びながらも「なんの、なんの、天国とうちん家は比較にならん。天国はさ、きれいか花が咲いとって、そのかぐわしか匂いは、この世のどんな香水よりかよか匂いちいうとよ。そしてさ、音楽もこの世で一度も聞いたことのなか、よか音楽が聞こえるっちいうとよ。じゃけんさ、みんなこの世で罪ば犯さんごとして天国に行かんばよ」と言った。

 「いごこち」というテーマから、生家に集った人たちのことを思い出した。