最近、父が家庭菜園と料理に目覚めています。妹から送られてきた動画を見ると、立派な大根と白菜、人参を収穫していてびっくり。何と土づくりから楽しんでやっているようです。米ぬか、もみがら、牛糞、落ち葉、畑の雑草などを土に返して作るのだそうです。採れた野菜を使って天ぷらなどを作り、喜ばれています。そんな父に「ねえ、お父さんの生きがいって何?」と尋ねると、「畑かな~、そして中のこと」と、もごもごと答えが返ってきました。「中のことってなんだ?」と思いつつ家族のことなのだろうな~と感じました。
生きがいについて、ちょうど修道院を訪問中だった恩人のKさんにもお尋ねしました。Kさんは「人を喜ばせることですね。喜んでくれている姿を見て自分もうれしくなります」とすぐに答えてくださいました。Kさんも三人のお嬢さんのお父さんです。
生きがいについてのお父さんたち二人の答えは違っていましたが、その中身は似ているところがあるな、と思いました。自分だけの喜びでなく、喜ぶ相手がいるというところです。
二人のお父さんの姿から、もう一人のお父さんの姿が浮かんで来ます。天のお父さん、神様です。このお父さんの生きがいは、もう、人を幸せにすること以外の何物でもないように感じます。
愛情をあだで返し、放蕩を尽くした息子がボロボロになって家に帰ってくると、大喜びで迎えます。まだ遠く離れている息子を見つけ、走り寄って抱きしめます。そして、その帰りを喜んで、手厚くもてなすのです。息子の心はどれほど救われたでしょう。(参 ルカ15・11~32)
人の生きがいというものは、何か天のお父さんの慈しみの心を映しているのではないか、そのように感じられました。