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生きがい

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 中学生だった時、学校で「自分の生きがいは何か」という作文を書かされたことがあった。1970年代のことで、若者が三無主義世代、後に、しらけ世代と呼ばれていた頃である。

 1960年代は学生運動が盛んだった時代で、その反動で、70年代には若者が無気力、無関心、無責任という三無の状態になってしまったと言われていた。政治に失望して無関心になるだけでなく、世相にも関心が薄くなり、何事にも熱意が持てず、興醒めしたような態度の世代が生まれていたのである。

 思い出せば、先生が授業中にオリンピックの話題を振っても、「関心ありません」「日本選手もどうでもいい」などと、私たちは答えていた。それで先生方は心配になって、作文を書かせ、生徒たちの気持ちを知ろうとされたのだろう。結果は予想通り、ほとんどの生徒が「生きがいと呼べるようなものはない」と答えており、先生方を落胆させた。

 だが今、2020年代の人々に同じ質問をしたら、何と答えられるだろう。「生きがい」すなわち「生きる張り合い」、「そのために生きる何か」を持っている人は少ないのではないだろうか。なぜなら、生きがいとは、従事していて楽しく、自分が成長でき、社会や人の役に立つ何かのことだからだ。他人と自分両方を幸福にしようとする人でなければ、生きがいは持てないのである。生きがいを求める時、人は自然と「生きる意味」を求めることにもなる。

 中学生はまだ人生が始まったばかりで、自分自身さえ見つけていないのだと思う。生きがいがない、と答えたのは、三無主義のせいではなく、生きる意味を悟るには、ただ少し早すぎただけなのだと、今は思っている。