日本の若者の自己肯定感は、他の国々の若者のそれと比べて低い、と言われます。
内閣府は10年前、日本を含む7か国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査の中で、次のような質問を掲げました。
「自分自身に満足しているか」に対し、アメリカ・ドイツなどでは80パーセント以上、韓国で75パーセント。日本は45パーセントあまりでした。また、「自分には長所があるか」に対し、アメリカ・ドイツなどでは90パーセント以上があると答え、日本では70パーセント未満でした。
確かに低い。でもいったい、何が原因なのでしょう。
もちろん、いろいろあるでしょうが、この国の教育のあり方も、その一つではないかと思います。例えば、〇か×かを求める問題。この場合答えはいつも一つです。それ以外は、すべて間違いとされます。でも世の中の問題には、いろいろな答えが求められます。つまり、人間がそうであるように、答えは実に多様なのです。
聖書によれば、人間は、神の似姿として、しかも善い存在として造られています。「知恵の書」は、そのことを次のように語ります。「あなたは存在するものすべてを愛し、/お造りになったものを何一つ嫌われない。/憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ」。(11・24)
同時にまた、人間は、不完全な存在です。しかし、善い存在であることと不完全な存在であることとは、矛盾しません。お互いの足りないところを補い合い、それぞれの善さを認め合うこと、それができたら大きな喜びです。
「どんな時も人生には意味がある」――そう語ったのは、ヴィクトール・フランクル。私たちは、様々な苦しみや不条理と出会います。彼はまたこうも語ります――「それでも人生にイエスと言う。」