「子供の成長が生きがいです。」とか「家族が生きがい」という人がいます。一方、盆栽や菊や蘭の花を育てることやペットに愛情を注ぐなど命あるものの生育が生きがいの人、学業や趣味が生きがいという人がいます。
当然日々打ち込んでいる仕事こそが生きがいと言い切る人もいます。
「生きがい」とは生きている上での心の張り合いのことです。
我が子や家族、恋人など、愛する対象の人間がいることが生きがいであれば、相手の出方次第で生きがいへの信頼が揺らいでしまうことがあるかも知れません。
趣味や学問に打ち込むのは自分自身の努力が生きがいの是非を左右しますので自己責任です。
仕事が生きがいと言える人は、自分自身と相手の人間への信頼のバランスをとっていられるからでしょう。
自分の力で生きていると思うといつも心は張りつめた状態で孤独ですが、自分が生かされている存在だと認めると、誰かから期待されている自分を認めることが出来て、心の張り合いを持てるものです。
聖書を読んでみるとキリストの弟子たちにとって、いかに主キリストが生きがいであったかが判ります。
エマオへ向かう二人の弟子たちは、どんなにか寂しく悲しく心細かったに違いありません。そこで、連れになった見知らぬ男にいろいろ話しかけたのでしょう。宿に着いて、食事の時の祝福の有様に、その男が復活された主キリストだと悟った時の驚きと喜び、これこそが心の張り合いを取り戻した感動なのです。(参 ルカ24・13~35)
何であれ生きがいを持てるということは幸せです。生きがいを見つけたら大切に忠実に育てることです。
継続は力なりというように いずれ生きがいはその人の人生そのものとなって人々の記憶に留まるでしょう。