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渇き

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 水分が足りなくなったとき「喉が渇く」というが、渇くのは喉だけではないだろう。心に潤いがなくなり、考え方がぎすぎすしてきたときには、「心が渇く」という言い方もする。イエス・キリストは、十字架にかけられて亡くなる直前に「渇く」と言い残したが、(参 ヨハネ19・28)この場合の「渇く」には、「心が渇く」という意味が込められているように思える。弟子たちに見捨てられ、神からさえ見捨てられたような状況の中で、イエスは愛に渇いていたのだ。

 スラム街の聖女として有名なマザー・テレサは、イエスのこの「渇き」に注目した。イエスは、いまも十字架の上で愛に渇いている。それだけでなく、家族や友人から見捨てられ、愛に渇いて死んでゆく貧しい人の中にもイエスがいる。その人の中で、イエスは愛に渇いている。マザー・テレサはそう受け止めた。そして、この「渇き」を忘れないために、彼女が創立した修道会のすべての十字架像の傍らに、「渇く」という言葉を刻んだのだ。

 マザー・テレサの一日は、十字架像の前での祈りから始まる。十字架の上で愛に渇くイエスを思い起こし、道端や孤独な部屋で死んでゆく貧しい人たちの愛への渇きを思い起こして祈るのだ。すると、祈っているうちに、だんだんじっとしていられなくなる。「苦しんでいるイエスを、貧しい人たちを放っておくことはできない」という気持ちが心を満たし、体を動かし始めるのだ。そして、祈りが終わるやいなや貧しい人たちのもとにでかけてゆく。彼女の人生は、毎日がその繰り返しだった。

 マザー・テレサの生涯は、「渇き」に捧げられた生涯といってよい。シンプルだが、どこまでも気高く美しいその生涯に学び、少しでも近づくことができればと思う。