(今日のお話は遠藤周作さんがご存命中に寄稿されたお話です)
正月の飾りをとり払った日曜日、新聞をみていると、新宿のデパートで平城宮展という催しをやっているのを知った。もちろん、奈良の平城宮を発掘して収集したものを見せてくれる展覧会なのである。
好奇心のつよい私は、すぐ小学校六年になる息子をつれてとんでいった。デパートの会場は日曜日のせいもあって、沢山の見物人がやってきている。
私は息子の肩を押しながら、当時の平城宮の模型や、奈良の都の想像圖を眺め、長い間土に埋もれていた皿や壺をひとつひとつ見てまわった。当時の下駄もあった。女の櫛もあった。息子はイカさねえ下駄だなあと叫ぶので、私は赤面した。
とりわけ、私と息子が一番おもしろがって見たのは、当時の下級役人が習字をした板だった。当時は紙は高価だったせいか、板に字の練習をしているのである。
お世辞にもうまい字ではない。息子の習字は丙(へい)だが、それと同じぐらい下手くそである。その上、途中でこの人、飽きたらしく同僚の似顔絵を書いているのである。この似顔絵がまた下手くそきわまるものーーーつまり我々も小学校の時、おなじことをやったのだがーーへのへのもへの式の絵なのである。
私はこの人、あまり出世しなかったぜと息子に言った。しかしこの人がいたならポンと肩をたゝいて「ご苦憥さん」と言いたかった。彼は自分の習字と悪戯書きが20世紀の世の中でデパートに陳列されるとは夢にも思わなかったのであろう。
家に戻ると息子が何か庭でやっているので2階から見ていると、何と木の枝に彼もオバQの絵などを炭で描き、土のなかに埋めているのである。千年後、これが発掘されデパートに出品されるかもしれぬと考えたらしいのである。
どんなに世紀が変っても人間のユーモアはそう変らない。同じようなものだ。
*(書き下ろし元原稿のまま表記)