とても素敵なシスターがいる。いつも穏やかで優しい微笑みをもって丁寧に人と関わり、相手のいいところを一つでも多く見つけては、その人自身を活かそうとするシスター。こんなシスターの姿に私はいつも憧れている。だけど、そんなシスターがあるときぽつりと言った。「私にはずっとゆるせないと思ってた人がいた。でも今日やっと心からゆるすことができたの。何年も何年もかかって、やっと今日・・・。」そういうシスターの顔はいつも以上に穏やかにみえた。
私は驚きと共に、安心もした。どんなに素晴らしいと思える人の心の内にもある現実。人をゆるすことの難しさ。でもいつか、ゆるすことができる日が来る、という望み。
人をゆるせないと思う時、私の心はどうなっているのだろうか。それは、ぎゅっと握りしめたこぶしのように固く閉ざされているのだろうなと思う。握りしめたこぶしが、手のひらに痛みを感じさせるように、私の心にも痛みを起こす。そして、ある時は、その握りこぶしで人を痛めつけることもある。だけど、固く握りしめたこぶしをゆっくり開いていくと、温かい空気に触れ、そして、新たに何かをつかむことができる。
人をゆるすこと、それは握りしめたこぶしをゆっくり開いていくように、手放すということなのかもしれない。相手への恨み、憎しみ、悪意そうした負の感情を手放すことで、人を愛するという恵みをつかむことができる。
ふと見上げると、マリア様に抱かれた幼子イエス様が両手を一杯に開いて私を見つめている。7の70倍までも私をゆるしてくださっているイエス様。私も、その愛に強められて人をゆるすことができる恵みを、請い願いたい。