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委ねる

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 天使からイエス・キリストの受胎を告げられたとき、聖母マリアは、「わたしは主の仕え女です。お言葉どおり、この身に成りますように」と言って神の手に自分を委ねた。(ルカ1・38)

 十字架上で最期の時を迎えたイエス・キリストは、「わたしの霊を御手に委ねます」と言って息を引き取った。(ルカ23・46)

 イエス・キリストの生涯は、委ねることから始まり、委ねることによって終わったといっていいだろう。

 人間が神の手に自分を委ねるとき、神がその人を使ってこの地上に偉大なことをする。わたしたち人間は、ただ神の手に自分を委ねるだけなのだ。

 神の手に自分を委ねるというと、何か難しいことに思われるかもしれないが、簡単な例でいえば、何か困難なことに直面し、自分の力ではもうどうにもならなくなったとき、「神さま、もう無理です。あとは、わたしを使ってあなたがやってください」と祈るということだ。自分の限界を素直に認め、こう祈って自分を神の手にすっかり委ねる。

 すると不思議なことが起こる。将来への不安や恐れが消えて、自分がいま、何をすべきかがはっきり見えてくるのだ。緊張や力みも消えて、体や口も自然に動くようになる。まるで神に動かされているような気持ちで目の前の課題に取り組んでいると、不可能に思われた困難なことでさえ、結果として何とかなってしまう。「神が自分を使って偉大なことを成し遂げた」としかいいようのないことが起こるのだ。

 神の手に自分を委ねるとき、わたしたちの中に眠っている本当の力が目を覚まし、不可能に思われたことさえ可能になる。そういってもいいかもしれない。神に委ねるとは、神に自分を差し出すことによって、本当の自分に生まれ変わるということなのだ。