秋が深まると、リルケの詩、「秋」を思い出します。私なりの意訳をご紹介すると、次のような意味の短い詩です。
==木の葉が落ちる。地球が落ちる。人間が落ちる。
自分のこの手も落ちる。見渡すかぎり、すべてのものが皆、落ちていく。==
この詩には、「落ちる」と訳せる言葉が何度も使われています。
「落ちる」という言葉は、恐らく「死ぬ」という意味を暗示しています。ですから、この詩の三連まで読むと、暗い気持ちにならざるを得ません。それは「死」に対する人間の一般的な思いでもあるでしょう。
しかし、この詩の最後の連はこれまでの暗い流れを転換させ、明るい気持ちを湧き起こします。
最後も私なりに意訳してみます。
「みんな、みんな、いずれこの自分も落ちてしまうのだけれど、ただ一人、落ちていくみんなを両方の手で、こよなくやさしく受けとめてくれる人がいる」
人生の終わりに、私達を限りない愛をもって受けとめてくださる方がいるのです。そう確信するのなら、死への不安や絶望や悲嘆は安心や希望や喜びに変わっていくように思います。
死は、すべての人に確実にやってくる人生のゴールです。ですから、自分の死を恐れたり、悲しんだりするより、受け入れる準備として、死を肯定的に考えたほうが良いと私は思います。
もともと神様によって生まれた私達は、この世での旅路を終え、また神様のもとへ帰っていきます。そこには安心感があるでしょう。
死は確かにこの世での生活の終わりを意味しますが、新しい世界への始まりでもあります。そこには希望があるでしょう。
また、神様に自分のすべてを委ねることで、限りない愛である神様とともにいる喜びを永遠に味わうことができるのです。