昭和21年生まれの私の小学生時代の一日の小づかいは5円であった。
紙芝居を見るのは10円であった。したがって二日に一回しか見られなかった。
しかし、12月に入ると、もはや紙芝居も見なくなった。見られなくなったではなく、自分の意思で見なくなったのである。
紙芝居よりもっともっと大切なことを、当時「けいこ部屋」と呼んでいた教会学校で教えてもらったからである。
12月24日に神さまの子どもであるイエスさまがお生まれになるというのだ。
私の通っていた五島の福江教会は当時、木造の粗末な建物であった。
その教会の片隅に、イエスさま誕生のシーンが再現された。
馬屋の中でイエスさまは誕生された。馬屋のまわりは、赤、青、黄、緑の豆電球が点滅し、それはとても美しかった。
外で遊ぶどころではなかった。 紙芝居どころではなかった。
聖家族のお姿がより魅力的であった。
神さまのお子さまだから、どんな王侯貴族の家でもお生まれになることができたのに、人々に、清貧・忍耐・謙遜の徳を教えるためにあえて馬小屋でお生まれになったと教え方さまは私たちに教えた。そして、子どもであっても、子どもなりにイエスさまを歓迎しなければならないことも教えてくれた。
つまり、何がしかの犠牲を払って、このよろこびを聖家族に伝えなければならないと心から思った私たち子どもは、一日の小づかいを献金することにした。
この時、初めての5円の献金が、その後、将来にわたって私たちに生きる道筋を教えてくれた。