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安らぎ

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 ある小学4年生の女の子が、「死にたい」と口にしました。わたしはその子の気持ちを測りかねましたが、「Bさんが死んだら、神さまもぼくも悲しいなあ」と言いました。

 わたしたちは、辛いとき、「死にたい」とか「死んだほうがまし」とか言うことがあります。しかし、それは比喩で、心から死を願っているわけではありません。でも、ほんとうに苦しいときや悲しいときには、死ねば楽になるとか、安らぎを得られるといった思い込みが、どこからともなくわたしたちの心に忍び寄り、そのようなことを言わせます。

 Bさんは、友だちとの関係で深く悩んでいたようです。もっと仲良くしたいけど、できないという葛藤がありました。数日後、再び、その言葉をぼそっと口にしたBさんの前に屈んで、その目を覗き込みました。目が据わっています。すると、Bさんは、上目使いでこちらの目を覗きました。

 「死んでもいいことないよ。」そっと言いました。

 死ぬことで安らぎが得られるのではなく、神がともにおられるから安らぎが与えられると、詩編作者は歌います。

 「主はわたしの右にいまし、わたしは揺らぐことがありません」(16・8)この謳い手は、神とともに歩む人は決して死なない、と確信しています。

 「わたしの心は喜び、魂は踊ります。からだは安心して憩います。」(16・9)信じるだれかがいっしょにいてくれるとき、わたしたちはからだも心も安らぎと喜びを与えられます。死を乗り越えていく力を得ます。

 その後、Bさんは、友だちに自分の素直な気持ちを伝えることができたそうです。彼女の表情は随分明るくなり、もうその言葉を口にしなくなりました。