年に一回、忙しい街での日々の生活を抜け出して、南の島に出かけることにしています。特に、冬の寒い時期に縮こまった身体を少し伸ばしてあげるひと時です。しかしながら、最近はコロナ禍で出かけられずにいます。
出かける島は毎年、いろいろですが、どの島を訪れても、広い大海原に沈む夕日に包まれたり、さわやかに流れる風を感じたり、美しい鳥の声を耳にしたりすることができます。
このような大自然に囲まれていると、自分自身が自然に包み込まれていると感じます。大自然の大きな懐に抱かれているような安らぎを感じるのです。
詩編の言葉は、このような大自然に満ち満ちている神さまの存在を告げています。
「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。」(19・2~5)
大海原に沈み空全体を真っ赤に染める夕日も、さわやかに頬をなでるように吹く風もすべてが、神さまの存在を指し示し、神さまご自身を伝えるものなのだ、と詩編は語っているようです。
普段はなかなか南の島へと出かけられませんが、時々、その光景を思い出すことにしています。遠く離れてはいても、大自然の風景の中に今一度、自分自身を浸していくのです。それは、神さまご自身のうちに自分自身を委ねていくことなのかもしれません。
この詩編の言葉は、次の一句で締めくくられています。「どうか、私の口の言葉が御旨にかない 心の思いが御前に置かれますように。主よ私の岩、私の贖い主よ。」(19・15)
神さまの大きな懐に日々抱かれて、神さまのみ旨にかない、安らぎの心を持ちながら、日々歩んでいきたいと願っています。