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安らぎ

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 水のある風景――それを目にすると、なぜかホッとします。川でも、湖でも、そして海でも。きっと、自分のいのちの原体験が、その中にあるからでしょうか。

 いのちは水の中から生まれた――誰かが、そのようなことを言いました。(きっとそうなのだろう)、と思います。母親の羊水の中で、ゆっくりゆっくりと、自分のいのちは育まれたのでしょう。海の水に包まれている時の、あの何とも言えない、懐かしいような安心できるような思いは、きっとあの原体験の記憶なのかもしれません。

 ある日、新潟から酒田に向かって、羽越本線を北上しました。約二時間半の旅です。途中、村上を過ぎたあたりでしょうか、左手一面には日本海が広がります。何とも言えない、包まれるような穏やかさを感じます。(最後に海で泳いだのは、いつだろう......。)

 神が天地を造られた時、神の霊が水の面を動いていた、と聖書は語ります。(創世記1・2)

 やがて、人間は、水の面に出てきます。それからは、自分の歩む道は、自分で選んでいかなければなりません。そのために、神は私たちに判断力を与えられた、とシラ書は語ります。「主が初めに人間を造られたとき、/自分で判断する力をお与えになった。・・・・人間の前には、生と死が置かれている。望んで選んだ道が、彼に与えられる。」(同15・14、17)

 自分の前には、生と死が置かれている――当然、私たちは、いのちを選びます。なぜなら、それが、神の望みだからです。その道の先には、私たちの真の仕合せ、慰め、そして安らぎがあります。エレミアは、こう語ります。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ/どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ」(同6・16)